[政治]First Ladyのスピーチ(前編)

オバマ大統領の宗教大学での卒業式のスピーチが以前あったが(5月19日及び22日付け「オバマ妊娠中絶について語る(前後編)」参照のこと)、大統領夫人も卒業式でスピーチを行っている。どんなことを言っているのか、覗いて見ることとしよう。
ワシントンにあるWASHINGTON MATH AND SCIENCE TECH PUBLIC CHARTER(ワシントン数学科学技術公立)高校での卒業式(2009.6.3)の模様である。
http://www.whitehouse.gov/the_press_office/Remarks-by-the-First-Lady-at-the-Washington-Math-and-Science-Tech-Public-Charter-High-School-Graduation/

(仮訳)
オバマ大統領夫人:イェィ!(拍手)ありがとう!2009年卒業生の皆さん、卒業おめでとう!(拍手)興奮するわね。これ以上、興奮する出来事がほかにあって?皆さんをとても誇りに思います。ここにいることを嬉しく思います。

この学校の生徒であるジャスミンが私をこの場へといざなってくれました。彼女の招待に感謝します。ありがとう、ジャスミン。(拍手)ホルブルック校長と全てのスタッフの皆さん、御祖母様、御母様、御父様、叔父様、叔母様、いとこの皆々様、本日この場に居られる関係者の皆様全てに感謝を致します。(拍手)

そして、特に卒業生総代のジャレン・デイビスと開会の辞を述べたロスマー・ポーティロの業績を祝福します。(拍手)皆さん方は、この他にも多くのことを成し遂げられてきました。このことは、皆さんにとっての重要な一里塚になるでしょう。光栄に思います。

ジャスミンが私を招待してくれて(笑)、私はここにいるわけですけれど、今年の学位授与式のスピーチについては非常に多くのお誘いを受けました。昨年行ったスピーチよりも明らかに多くのオファーがあったかしら。(笑)しかし、私は2校だけを選びました、皆さん御存知の2校です。私はワーキング・マザーで、子供を抱えています。したがって、私は自分の行動にバランスをとる必要があります。そこで、自分が本当に信じた学校を選択することが私にとってもとても重要なことだったのです。そして、私は自分の新しい故郷で若者の業績を祝福したかったので、このワシントン公立高校でのスピーチをしたかったという次第です。(拍手)

私が1校を選ぶその前に、私の事務所がジャスミンからの素晴らしい手紙を受け取りました。その中で彼女はこう言っていたのです。「2009年6月3日、私達ワシントンD.C.で育った子供達は、子供であることに終止符を打ちます。私達は、1932年以降最も困難な挑戦に臨むべく大人の仲間入りをします。私達は、今日の世界の挑戦に耐えることができるかどうか見極めるためのテストを受けます。このテストには、合格のためのガイドラインや教科書といったものがありません。私達の家族が与えてくれた常識や、私達が経験をしてきた状況下で学んできた忍耐強さ、人々が積み上げてきた時間を超越した信念といったものに頼らなければならないのです。そうです、私達にはそれができます。」(拍手)これがジャスミンの書いた手紙です。

その手紙の言葉が私をここに引き寄せたのよ、ジャスミン。私は皆さんが常識、勤勉、信頼、公正さに満ちた正しい存在であって、皆さんが心に決めたことを成し遂げることは可能だということ、それは確かなことだということを今日この場で話したいと思います。今日はまさにその始まりの日です。私達がここに座って、祝福をしているその間に、スタートは切られています。皆さんの人生はここで終わるわけではありません。ここがスタートなのです。

皆さん全員をこうして見つめていると、ほんの数年前に私が式服式帽を纏って皆さんの席に座っていた頃を思い出して、何だか涙が出てきてしまいそうです。ホイットニー・ヤングはマグネット公立校で、私も公立校の卒業生でした。そして、私がプリンストン大学に入学した時は、皆さん同様に私も興奮をしていました。意欲満々だったの!(拍手)私の心は燃え盛り、皆さんが今持っているようなお金とかは何も持ちあわせていませんでしたけれど、(笑)私は意欲に満ちていました。

しかし、それと同時に私は心配もしていました。いったい私は準備できているのかどうか、しっかり働くことができるものなのかどうかといったことについて不安でした。そして、私の不安や恐れが私一人だけのものではないだろうことに私は気付きました。

その後、私はソーニャ・ソトマヨル判事の物語を読みました。この著名な女性を皆さんが御存知かどうか知りませんが、大統領は彼女を初のヒスパニック系女性の最高裁判所判事に任命しました。(拍手)

彼女はプリンストン大学に行き、この物語によれば、彼女は新入学生としてプリンストンに到着した時、ここに来ることが9年前からの希望であったと言っています。そして、彼女が実際にそのキャンパスの足を踏み入れた時のことを次のように引用しています。「異国の地に足を踏み入れた観光客のような感じだったわ。」(笑)そして、最初の一年間は決して挙手をして発言をしなかったと言います。その理由は、「質問をするにはあまりにきまりが悪くて、おびえていたから。」だそうです。

プリンストン大学での成功にもかかわらず、その後、彼女は最上位クラスのエール法科大学校に進みました。そして、彼女のこれまでの専門的知見にもかかわらず、自分に必要な資格が本当にあるのかどうか彼女は疑問に思います。

私は、彼女の話を読んだ時、彼女の気持ちを正確に理解しました。そして、時々皆さんの頭の中でも低音で蠢くようなしつこい影の声が彼女の中にあったでしょうが、キャンパスを駆け上がっていくことが彼女にとって望ましいことなのだということが私には確信できました。私にとっても、最初に私に話しかけてきたその声は、私が決してプリンストンにもその他の学校にも行くべきではないといったものでした。

その後も、私がそこに入学した時には、準備万端の学生と張り合えるわけがないのだから、行くべきではなかったのだと私に語りかけてきました。また、私が出席を決めた時には、友人を作るのに苦労するのだから、家からそれほど遠くの学校に行くべきではないよと私に語りかけてきました。私はその声を間違っていると思って、やり過ごしました。私の頭の中で疑いの種をまいている声です。

今振り返ると、私は正に皆さんが今そうであるように自信に満ちていたにも関わらず、私の心の一部分では疑惑を生じ始めていたわけです。私はその声を信じ始めました。その声を発する人々は、私の頭の中に住んでいました。彼らは、私自身の能力を疑い、私という真実の存在、つまり、私が正しく知っていることに疑いを持ち始める私の一部分でもありました。

おそらく現在、ここにおられる卒業生の皆さん自身を疑わせるような疑問の声を持っていらっしゃるかもしれない、あるいはそうでない、準備万端の方もいらっしゃるでしょうが、そういった皆さんのために、私を信用して下さいと、皆さんが思うようなことを私も知っているということについて信じてほしいと、そう言いたいのです。皆さんが感じていることは多くの人が思っていることでもあるのです。

また、ここにおられない家族のどなたかが同様に少しの不安を感じているかもしれないでしょう。

観衆:アーメン。

オバマ夫人:「アーメン」と唱えることもできます。

観衆:アーメン!

オバマ夫人:結構でしょう。(笑)ほんの少しの調合と関わりで、大きな誇りと喜びを抱えられるということです。御父兄の皆様の中には、遠くの学校までお子さんを送り出すことで、すぐには会うことができず、必要な時に抱きしめてあげられないことを心配される方もあるでしょう。(笑)皆様の中の何人かは、そして私も、「アーメン」と唱えても財政的な管理がしっかりできるものではないということを知っています。

観衆:アーメン!

オバマ夫人:どこかにいってしまったみたいね。(笑)皆様の中には、自分の考えと非常に異なる進路を選んだ子供を支えていく方法について心配される方もいらっしゃるかもしれません。

両親が私をプリンストン大学に送り出した際に、大学には行けなかった労働者階級の彼らが、何か考えていたに違いないと私は想像を働かすだけですが、私にはプリンストン大学に行った兄弟がいましたので、少なからず有利なスタートラインに立っており、そのことが私を助けました。しかし、数代にわたって家族がプリンストン大に通ったという素晴らしい経歴を持つ私の同級生の多くとは異なり、私の両親が大学に行かなかったということは事実でしたので、私の両親は何に期待をするべきか、あるいは、どのように備えるべきかといったことを私に助言することはできませんでした。皆さんの多くも同じような状況にあるのかもしれません。

しかし、現実があります。結局のところ、よい知らせというものは、それのどれもが真に重要ではなかったということです。それは、本当に重要でありませんでした。私の両親は、私が成功することを手伝う弁護士や医者や学士である必要は全くありませんでした。私は、そういったことを必要としませんでした。重要なことは、彼らの愛でした。そして、彼らの励ましと無私の支えでした。(拍手)それが大切な全てです。重要だったことは、私が家に電話をした時に、彼らが毎回電話口に出て、私を誇りに思うと二度に一度は言い、私がかつて味わったあのしつこい影の声に対して、私がしてきたことには価値があるのだということを、もう一度私に思い起こさせてくれたことでした。

だから、皆さんの両親と家族、そして私が、皆さんへの愛と励まし、十分な無私の支えを約束しましょう。心配は無用です。

前半のテーマは、野心と不安。そして、それを支える家族愛。
日本でも、卒業式の時には偉い方の送辞の言葉の中で「期待と不安を胸に背負って」とか「周囲の支えもあって」などといったフレーズをよく使うので、その部分は共感しやすいと思うが、もう少し具体的にかみ砕くと、それを家族の愛と支えと言い、(無論そのこと自体を否定するものではないが)、どちらかといえば、この国では口にするのが恥ずかしいような言い回しがある内容ではある。


それと、高校卒業時点で社会を意識させる(あるいは既に自覚している招聘した高校生の手紙)ことが常識化しているということ。
当たり前といえば当たり前のことではあるが、こちらの国では大学までは「社会」の一部とはあまり意識されていない。寧ろ大学あたりは、その隔絶された世界において、よく言えば、何やら大切にincubateされて(有り体に言えば受験の圧力から解放されて、遊び呆けて)本当の社会へと巣立っていくという図式。
真面目に考えても、不真面目に考えても、社会への第一歩という意識は格段に薄いような気がする。今の若者だけではなく、わたくし自身の頃からそういう風潮であったので、世代間での鬩ぎ合いはここでは言わない。


それにつけても、彼の国の精神的成熟度は、げに、羨まし。


本日の音楽♪
「JACK」(ECHOES)