オバマ妊娠中絶について語る(前編)

オバマ大統領がカトリック系大学で講演を行い、保守系宗教色の強い観衆を前にして、中絶問題等について語った。彼岸の国では何かと票(議論)の割れる根の深いテーマなだけに、大きな話題にはなっている様子である。
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yomiuri-20090518-00913/1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090518/amr0905180920004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090518/amr0905180920004-n2.htm


講演録はシカゴ・トリビューン紙に掲載してあったので、早速これの仮訳を以下にアーカイヴしておこう。相変わらず、ずいぶんなボリュームであるので、前後編に分けて整理をしたい。
http://www.latimes.com/news/nationworld/nation/chi-barack-obama-notre-dame-speech,0,2951798.story?page=1

オバマ大統領のノートルダム大学での講演(2009年5月17日)

大統領:まず始めに、2009年卒業生の皆さん、卒業おめでとう。(拍手)御父兄、御親族並びに関係者の全ての皆さん、御卒業おめでとうございます。(拍手)本来であればもっと謹み深く言うべきなのでありましょうが、本日私をお導き頂いたジェンキンズ神父に感謝致します。(笑)神父にあられては、この組織の長としてこれまでたいへん精力的な仕事をなされてこられました。(拍手)この継続的、かつ、率直で思慮深い取り組みは、私達全ての者に対するよき示唆となりましょう。(拍手)
ヘスバーグ神父、信者並びに御家族の皆さん、こんにちは。本日ここにお招きいただいたことを光栄に存じます。(拍手)そして、皆さんとともに本日の卒業を祝うことのできることに感謝致します。
また、私に授与頂いた名誉学位職に対して感謝申し上げます。このことについては、議論があったやに聞いております。皆さんが気づいておられるかどうかわかりませんが、名誉学位職というものは明らかに手に入れることが難しい代物なのです。(笑)大統領としての私への賛成票はわずか2人に1人の割合でありました。(笑)(拍手)ヘスバーグ神父であったならば、150人中150票が投じられたでしょう。(笑)(拍手)まあ、それが然るべきということなのでしょうが。(笑)テッド神父、式典の後で私の点数を加点して、平均値を上げておいて下さい。
ノートルダム大開設以来の業績とともに、2009年卒業生を祝福致し…。

一部観衆:妊娠中絶は、殺人だ。絶対反対。

観衆:(ブーイング)

大統領:それは後ほど…。

観衆:「WE ARE ND!」「WE ARE ND!」…

観衆:「YES,WE CAN!」「YES,WE CAN!」…

大統領:皆さんを見ていると、正に「この世にありて、容易に成し遂げられ得るものはなし」というブレナンの格言を想起させます。(笑)けれども、私は時として不快なものを避けて通ろうというつもりは、全く持ち合わせておりません。(拍手)
本日は、教室のみならず競技場での皆さんの功績についても話さなければならないかと思います。(笑)でも、心配はご無用です。それについて話すつもりはありません。(笑)皆さんご存じのとおり、この大学には誇り高く歴史に名高いフットボールチームがありますが、しかし、世界最大の屋外の5on5のバスケットボールトーナメント「ブックストア杯バスケットボール」がここノートルダムで開催されていると私は聞いております。(拍手)
それを聞いて興奮しました。(笑)今年のトーナメントの勝者である「ハレルヤ・ホラー・バック」チームを祝福しましょう。(笑)(拍手)おめでとう。よくやった。ちょっと言っておきたいのは、「バラク・オバマーズ」が今年彼らメンバーを引き抜かなかったことに個人的に少しばかり失望しているということ。(笑)私のチームが来年フォワードを必要とする際には、どうかお忘れなく。(笑)(拍手)
皆さんは、この大学で成し遂げられたことを誇りに思わなければなりません。皆さんが今日座られている座席からは、ノートルダム大163のクラスの卒業生が旅立ちます。そのうちの多くの方々が犠牲や闘いを必要としない比較的平和と繁栄の期間を通じて、通知表とファンファーレと共に社会に送り出されていきます。
しかし、それは実際に容易なことではないのです。皆さんはそれぞれ異なる職業に就かれることでしょう。皆さんのクラスは、我が国のため、世界のために、この歴史の曲がり角の中で、最も重要な価値と新しい世代が要求するものとの整合を確保しつつ新たな世界を構築すべく重大な時期に成年期に達しようとしています。それは、極一部の世代にしか与えられない特権と責任であります。
この新たな世代である皆さんの世代は、繁栄への道筋を見出し、ごく最近の経済危機でダメージを受ける前の世界経済にどのように応えていくかということについて決定をしていかなければなりません。(拍手)
皆さんの世代は、今後の世界を破壊する恐れに変貌しつつある気候変動から、神の創造を救うための方法を見出していかなければなりません。また、私達に危害を与える人々や大衆を滅ぼすことができるごくわずかの武器から、私達の平和を守らなければなりません。そして、急速に縮小をし、絶えず成長し続けるこの世界の中にあって、私達の多様性、即ち、思想、文化及び信念の多様性といったものを整合・一致させるための方法を見出していかなければなりません。
要すれば、私達は人類の一家族としての共存の道を見出していかなければならないのであります。(拍手)
そして、私が本日話したいことは、ジェンキンズ神父が私の話のいいところを全て攫っていってしまったという事実はありますが、この最後の挑戦についてであります。(笑)世界的な不況や暴力的な過激主義であるかどうかといったことを、今世紀直面する大きな脅威である核兵器や世界的な疾病の蔓延は、区別しません。それらには境界はないのです。人の色も選びません。特定の人種集団だけを標的とはしません。
そして、一人の人間、一つの地域または一国が単独でこれらの挑戦に取り組むことには限界があります。私達の存亡のために、凡ゆる地域に住む凡ゆる人々の間のより大きな協力とより大きな理解を必要としているときは今を置いて他にありません。
残念ながら、キング博士が言ったように「運命という一つの衣服」として、私達の運命を縛り司る共通基盤を見つけ出すことは容易でありません。そして勿論、そうした問題の一部は、私達の身勝手さ、自尊心、頑迷さ、貪欲さ、不安定さ、自我といったところにその原因があるわけです。それらは、キリスト教の歴史である原罪に根ざした大小様々の残虐行為でもあります。私達は、往々にして他者に対する優越点を捜し出そうとします。そして、取るに足らぬ偏見に執着し、未知の世界の人々を恐れます。多くの人々は、利己心と実利主義の視点だけで命というものを捉え、彼らの頭の中では世界は必然的にゼロサムゲームになっています。強者は屡々弱者を支配し、富をもつ者や権力をもつ者の多くは、貧困と不正に直面した際には、自らの特権をあらゆる正当化の理由に結び付けようとします。そして、過去の歴史からも、凡ゆる科学技術の進展を求めて、この国や世界中での貧困と争いが垣間見えてきます。
周知の通り、皆さんがこのノートルダムで受けた素晴らしい教育の成果の一つは、こうした誤りを考慮し、それを取り除かんとする時間というものを皆さんが持っていることであります。皆さんは、各々自らの方法で行動を起こされんと固く決心されているでしょう。そして、より大きな理解と協力を得たい私達にとって、非常に苛立たしいことの一つが、善意によってもたらされ、原則と目的を携えた男女によってもたらされる発見であります。それは難しい問題です。
兵士と弁護士は、共に等しい情熱をもってこの国を愛していますが、私達を危害から守るために必要な特定の手段として、それぞれ非常に異なる結論に達する可能性があります。同性愛者の活動家と福音書の牧師は、共にHIV/エイズの影響を遺憾に思っているに違いありませんが、彼らの努力を結びつける可能性のある文化的な差違の橋渡しができていないということに気づいていないのかもしれません。幹細胞研究に対して反対意見を述べる人々は、生命の神聖さについて賞賛に値する信念に根ざしているのかもしれませんが、一方で、彼らの息子や娘の障害が取り除かれることができると確信している若年型糖尿病の子供の両親となる可能性もあります。(拍手)
そして、こうした矛盾を通じて、私達がこれらに取り組むためには如何にすべきかと言うことが問題なのであります。私達が手を携えてこうした共通の課題に取り組むことは可能なのでしょうか。力強く、様々な人種の存在する民主主義国家の住民として、私達はどのようにして活発な議論に乗り出したらよいのでしょうか。ジェンキンズ神父が言うような、相手側の強固な信念を向こう側の敵に回すことなく、どのようにして主義を貫き、正しいと思うもののために戦えばよいのでしょうか。
当然のことながら、こうした疑問は、妊娠中絶の問題に関しても、より力強い回答というものが得られてこなかったわけであります。
今回の訪問でこうした論争に思いを致した際に、私は上院時代のキャンペーンのことを思い出しました。それは「勇敢なる希望」というタイトルで私は本にもしています。私が民主党の指名競争に勝った数日後、イリノイ予備選挙で投票する前の時期に、本選挙で私への投票を妨げる可能性のある重大な懸念があると述べると或るお医者さんからの電子メールを受け取りました。彼は自らを強く妊娠中絶合法化に反対するキリスト教徒であると名乗りました。しかし、そのことは潜在的に彼が私に投票することを妨げるものではありませんでした。
そのお医者さんを悩ませたのは、私のキャンペーンスタッフが私のウェブサイトに提示した内容― 私が女性の選択権を認めない右翼のイデオローグと戦うというエントリ― についてでした。私が分別のある人間であると彼は考え、貧しい者を助け、教育制度の底上げを図ることを目的とした私の施政方針を支持しましたが、私が女性を苦しめ負荷を負わせるイデオローグだけを持った妊娠中絶合法化論者であるとしたならば、彼は私のことを合理的ではないと考えました。彼は、「あなたが妊娠中絶合法化に賛成する理由をこの場で尋ねませんが、ただこの問題については公正な言葉で話して頂きたい。」と書きました。「公正な言葉」であります。
私は彼に感謝の返事を書きました。私は自分の考えを変えたわけではありませんでしたが、私のウェブサイトの言葉を直すようにスタッフに命じました。そして、その夜、そのお医者さんが私にまで広げてくれた「誠実」の環に対して、私は祈りの言葉を捧げました。私達が信じることを正しく信じ行わない者に対して心を開かせることこそ、共通の基盤の可能性を見出す瞬間と言えましょう。
私達は、「妊娠中絶について同意はできないが、凡ゆる女性のためのこの苦渋の決定が日常的な措置ではないということには同意でき、そのためには道徳的かつ精神的な側面を踏まえなければならない。」ということを今こそ言い出す時なのであります。
妊娠中絶を求めている女性の数を減らすために、望まぬ妊娠を減らすために、共に手を携えて働こうではありませんか。(拍手)その導入を利用可能なものにしていきましょう。(拍手)子供たちを抱えた女性達のためのケアと支援を行って参りましょう。(拍手)妊娠中絶に反対する人々の良心を守り、私達の医療介護政策の全てが健全な科学のみならず、女性の平等に対する敬意に等しい明確な倫理に基づいていることを確認しましょう。(拍手)
さて、2009年卒業生の皆さん、妊娠中絶を巡る議論から逃れられる、あるいは、逃れなければならないような提案を私はしません。どんなにそれをごまかしても、その問題に対するアメリカ国民の見解が複雑で両立し難いということを認識していれば、或る意味、二つの陣営は宥和しがたいわけであります。両陣営は情熱と信念をもって国民に語りかけます。しかしながら、両者の風刺漫画化された異なる見解の溝を埋めずともできることがあるのです。
心を開きましょう。公正な言葉を使いましょう。それは常にノートルダムの伝統でもあった生活様式なのであります。(拍手)ヘスバーグ神父は、この組織の灯台と交差点としての役割について話されました。カトリックの伝統の灯火を遠くから照らし出す灯台、文化と宗教と信念の相違が友好、礼節、歓待そして特に博愛と共存することができるという交差点。彼やジェンキンズ神父にも参加いただいて、皆さんと共に、今日の式典を囲んでいる議論をより一層成熟させていただきたいと思います。正に皆さんがそのノートルダムを代表する申し子達なのであります。(拍手)


前編のキーワードは、公正(誠実)な言葉。
一方は思考とも言える代物ではないので、比較するのも烏滸がましいのではあるが、こうした公正な言葉をベースとして、「対話」「説得」「責任への参画(自覚)」といった一連の建設的思考プロセスの対極にあるものが、こんな老人なんだろうなと思う。→
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090515/152840/
同じ人間を名乗るのが恥ずかしいが。


あるいは、こういうイチ米国人。→
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090519-00000035-yonh-kr
難しいテーマであることは理解できるが、もっと思慮深い言葉を選んで慎み深く語らないと。「お前にだけは言わせねえよ。」ということになりかねない。


本日の音楽♪
「手紙」(樋口了一