はなの季節にびよと啼く

桜の季節が終わると、例年であれば花粉症の憂鬱さからも開放されて、文字通り春の到来を身をもって満喫できることとなる。
今年も塩漬けにしたい見事な晩生の八重桜の散り際を境にして、3ヶ月余も服薬を続けてきた第二世代抗ヒスタミン薬と点鼻薬、点眼薬等の対処治療薬一式とフェイドアウトの形でおさらばをして、通常生活へとその捩子を巻き戻していった。
しかし、ほっとしたのも束の間。今年の場合は、それからの症状が劇的な跳ね返り具合であった。
服薬を中断してからというもの、杉花粉の症状とは異なり、正に鼻だけをピンポイントターゲットにして、典型的なアレルギー性鼻炎の症状が日増しに強まっていった。
マスクを付けていようが、花粉の飛ばぬ雨の日であろうが、終日屋内に閉じ籠もっていようが、症状は全くお構いなしに悪化の一途を辿った。
文字通り、滂沱の如くはな垂れ嚔状態が続き、ポケットティッシュを一日平均5個も費消する始末。例えば、鼻血が止まらないのも薄気味が悪いものであるが、滂沱のはな垂れ状態もそれはそれで始末に負えない。人間の躰の何処にそれほど「はな垂れ」の水源が貯えられているのか、貯蔵タンクが躰の何処かにきっと隠されてあるに違いないとの下らぬ確信を持ったりもした。
鏡に映し出された赤塚不二夫画伯の漫画に出てくるカメラ小僧シノヤマ君そっくりのはな垂れ姿に我ながら、さすがにこれはまずいわと思い、再度処方のために病院を訪れた。
かかりつけ医の言によれば、今年は杉花粉の後のアレルギー症状悪化を訴える患者さんの数が非常に多いとの由。アレルギーの原因物質に関しては、「患者さんそれぞれ、数多くの物質がありすぎて…、気温上昇も原因の一つになりますしねえ…。」との説明を聞きながら、「地球温暖化の影響でしょうか、それとも電磁波なんかどうなんでしょうかねえ。」と不謹慎にも聞き返したくなった次第。
現行の抗ヒスタミン薬は即効性があまりないものだと思っていたのであるが、二種類処方されている一方の薬によって、時間を置かず、シノヤマ状態から何とか脱出することが出来た。
眠気は一日何回か不規則にごくごく短時間襲われる。第一世代の薬では長時間意識が混濁・埋没する感じであったのに対して、こちらは突如意識を「かくん」と喪失する感じと言えばよいか。したがって、服薬中の自動車運転や人工衛星の船外アーム操作などは、出来ない。
杉花粉とは明らかに感受の仕方や発症の感覚も違う。杉花粉ではどちらかといえば陰性的で複雑、全身嫌悪の症状であるのに対して、新たな症状は陰鬱さはあまり現出せず、単純、はな垂れびよよーんといった馬鹿丸出しな感じである。
杉以外のアレルゲンが明らかに自分の中に新たに登場したが為かどうかは分からぬが、十有余年前の初発の杉花粉の時のように、アレルゲンの正体を何としてでも特定したいという気持ちは今はことさら起こらず、またアレルゲンへの嫌悪感というものが意識の中でほとんど浮かび上がってこない、というのは我ながら面白い。
アレルゲンを特定して、それを糾弾して、酷いではないかと言ってみたところで、レセプタ側の都合はどうなのよという気持ちが残る。過敏症に悩む気持ちは共感できないでもないが、だから原因物質をなくせという主張には辿り着かないということである。
現在の懸念は、いつまで服薬を続けなければいけないかということ。
桜が終わり、躑躅はもとより、桐、山吹、野薔薇、小手毬、著莪、甘野老 等様々な野花が「百花繚乱」咲き乱れている。心おきなくこれらの花々を愉しめるのはいつになることか。


本日の音楽♪
「永遠」(つるの剛士