高野長英にスポットライトが当たる

と或る書き物を読んでいたら、高野長英(1804-50)の話が記されており、興味を引いた。
高野長英については、それまで、幕末の蘭学者シーボルトの弟子、反体制派で幕府に捕らえられ憤死したといったことしか知らなかったが、相当に興味深い人物の様である。
彼の人生は文字通り波瀾万丈であって、先ずその点に注目が集まるであろう。下記の「高野長英記念館」のBLOGに簡要に纏められた彼の一代記が大変に参考になる。
http://www.city.oshu.iwate.jp/syuzou01/index.html


故郷(家)を半ば捨てての江戸上京、一か八かの長崎行と蘭学修行出世、江戸での華々しい創作活動と投獄への暗転、そして後半生は、陰謀渦巻く獄中からの脱獄、顔面整形をしてまでの全国を股に掛けた逃避行、老母との再会、突然の逮捕そして憤死と、まあ非常にダイナミックかつドラマティックな人生ではある。ジャックバゥアどころではない。
しかしながら、わたくしが彼に興味を持つのは、その劇的な人生行もさることながら、彼の人柄・性格についてである。


当時最先端と思われる科学技術知識に長け、町医者を生業とし、体制(幕府)に楯突くという外形からは、さぞや気骨の入った正義感、或いは完璧主義的な超人像といった先入観を思い抱きがちであるが、彼はそういった単純なステレオタイプではなく、清濁飲み込んだ非常に人間臭い男であったと思われる。
情や懐の深さというよりも自分の信念が最優先されるという合理的利己主義に近いものを抱えていた節がある。興味深いのは、非常に自尊心(自惚れと言ってもよい)の高い人間であったということ。博識を鼻にひけらかす一面もあったらしい。「自分よりも頭の良い奴などいない」といった態度であったのかもしれない。


また、学究肌にありがちな社交下手といった様子はなく、親分肌で面倒見が良い(獄中で牢名主になっている)。そうした社会性がある反面、人に騙されやすく、連帯保証人になって、素奴に逃げられ、借金の片棒を担がせられるといった場面が何度かある。世渡りは相当に下手そうなのである。
さらに、反体制といっても、幕府の恩赦を何度も無心するといった行為に及び、倒幕活動家の気骨といったものは余り感じられない。
一方で、学問(特に実学としての医学、生理学)に対する執着は相当のものがある。それが為に、家も国も捨てたと言っても過言ではない。
近世と近代の狭間で両者の特質を有した性格を併せ持っていると言えばよいだろうか。いずれにせよ、中々にバランスの悪い性格を抱えた人物と見える。


もう一つのドラマは、捨ててきた故郷(現在の岩手県奥州市のあたり)の家の没落。
故郷に17才の許嫁を捨て置き、いつかは国に帰ると義父を欺き続け、それでも何度も借金の無心、督促(数mにも及ぶ長大な書簡をしたためる。読む側はきっと辟易とさせられたに違いない。)を繰り返すといった振る舞いの末に、家を背負った故郷の関係親族達は次々と命を落としていく。彼に見捨てられたようにも見えるこの親族たちが彼に対して抱いていた思いというものにも、もう一つの脚光を当てるべきである。


さて、こうしたアウトラインだけを眺めていても、間違いなく実写ドラマ(映画)化が可能と思われるのであるが、どうもそういった過去の実例を聞かない。
いずれ必ずドラマ化されるとは睨んでおく。天敵「鳥居耀藏」とどちらが早いか。
取り敢えず、いまは評伝で深掘りを愉しむこととしよう。二冊或る。
高野長英」(岩波新書)佐藤昌介
「評伝高野長英」(朝日選書)鶴見俊輔


本日の音楽♪
ホーリー&ブライト」(ゴダイゴ