North is severe, but innocent

どこかで書いたかもしれないが、体力ばりばりの若い時分に、ひと夏を最果ての北の漁り場で助っ人働きをしていたことがある(西国の果ての蜜柑山でひと秋ばかり丁稚奉公働きをしたこともある)。
そこは半農半漁の生活で、朝は陽が昇る前の早くからいくさ騒ぎのような昆布漁に始まり、昼は放牧牛の世話や牧草刈り、夕方は作業小屋で昆布の選別といったように、ほぼ一日中働きづくめであった。
夜は夜で、親方のお酒のお相手があり、時に興が乗れば、当時カラオケは家庭で行うという習慣があって、4枚切りの食パンのような大きさの重いカセット・トラックを専用のポータブルデッキにセットしてのカラオケ大会が家の中で行われていた。親方が半強制的に唄わせるものだから、それまで何の興味も無かった演歌の曲を結構覚えてしまった記憶がある。それも、テレビでは聞いたことのないようなマイナーなド演歌の曲ばかり。
遊びに出掛けるような場所も近所にはないし、休息時間があれば、只管寝て体力を蓄えることに専念をした。
近隣には、わたくしと同じようにひと夏の収入確保に賭ける(あるいは北の大地に美しき夢を抱いた)若者達が全国各地から集まってきており、同志諸君と直接交流をしたことはついぞ無かったが、仕事の合間の地元住人達の噂話で、「昨日、××地域の××の家の若い衆が夜逃げをした。」「××のところの兄ちゃんはずっと寝込んでいるそうだ。」といった風の便りを耳にしていた。周囲(:はた)から見たら、「蟹工船」か「女工哀史」のような光景に見えたかもしれない。
当の本人は、宛がわれた部屋の本棚になぜかあった塩月ヤエコ先生の冠婚葬祭入門や黒柳トットちゃんの本やらを差し置いて、流行遅れの古びた「かもめのジョナサン」の本を探し出し、ぼんやりとそればかり何度も読み返していたような気がする。

そういう生活もあるのである。というか、大変に生活らしい生活である。生きるという意味が当たり前のように躰に染み透っていく。
それはそれは立派な生活であると今でも思う。


唐突ながら、今日、「歌舞伎座建替え反対」などと書いてある駄文を読んだ。腐臭漂う文章である。「××大臣ヨロシク」「恩師の××先生ヨロシク」だと。この売文家、どうして名が通っているのかさっぱり分からない。余りに後ろ向きの言葉しか出てこないので、アドレスを貼るのはよそう。しかし、一言だけ言いたい。
Arse hole!
(最近、この言葉ばかり使っているような気がする。まったくもって、我ながら、はしたないし、大人げない。)
こうした駄文に貴重な汗水の対価を支払ってはいけないことであるなと大いに自戒をしている最中に、ふと、かつての北の暮らしを思い出した次第である。


本日の音楽♪
「おいらの船は300トン」(竜崎五郎)