開票速報と陰謀論

例えば、国政選挙直前の予測調査や投票直後の出口調査とやらで、報道各社が当該選挙に関する当落予想を行う。その精度の高さには大変に驚くべきものがある。
午後八時の投票〆切直後にいきなり当確ランプが点ることも屡々である。
ほぼ欠かさずに国政・地方選挙の投票所に足を運ぶわたくしではあるが(投票一番乗りをして空の投票筺の中をあらためさせてもらったり、選管の広報用風船コレクションをしていたりといった慣習はない)、一度としてこうした世論調査の調査客体としてマイクやアンケート用紙を突きつけられた試しがない。
もしもランダム・サンプリング客体に選ばれたわたくしであったとしたならば、「支持政党、支援候補者含めて、選挙に関しては一切他言をしないよう両親の教育を厳しく受けてきており、また、そのことを生活信条ともしておりますゆえ、回答肢については全て白紙内容ということにてお願いを致しとう」旨答えるところではあるが、だからといって、他の被験者の人々がぺらぺらと投票結果(意向)を回答することを非難はしないし、不思議には思わない。
ましてや、自らが経験したことがないからといって、報道各社の調査というものが全くの出任せであるとは考えてもいない。
そうした無作為抽出結果から全体予想を精度高く的中させるその統計理論の高さに感嘆をしている。


この事実は、社会というものが自分の主義・信条・経験とは別のところで、確かに「総体として」捉まえることができるという証左なのであるが、一方で、そうした総体の客観視が余りに乱暴に過ぎるようなケース、あるいは、自分の信条とは一致しない部分をもってして、非論理的な発想に結び付くようなケースと思われる事例にも遭遇することがある。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/178/index2.html

◆麻●内閣の経済政策の軸足は米国から財務省に移りつつある

 では、麻●内閣はなぜ小●構造改革を否定し、国民に不人気な増税を前面に出すのか。それを理解するには、まず小●構造改革とは何であったのかを確認する必要がある。

 そこには、次のような2本の大きな柱があった。

1.新自由主義政策
2.財政再建

 1の新自由主義政策というのは、簡単に言ってしまえば、小さな政府を目指して、日本を米国式の弱肉強食型の経済社会に変えていくための政策である。

 さらに言えば、米国による年次改革要望書に書かれた事柄を忠実に実行していくということだ。その具体例が、郵政民営化であり、不良債権処理の加速化、製造業への派遣労働解禁に代表される労働市場の流動化であった。そうした政策は、すべて年次改革要望書に盛り込まれていたものである。


二十一世紀初頭に企図された構造改革の骨格が「新自由主義」と「財政再建」といった理念に支えられていたという部分は理解できるのであるが、わたくしが首を捻る部分は、この筆者がどこまで本気で考えているのかは別にしても、米国の「年次改革要望書」に沿って内政改革を進めてきたとの推論についてである。
詰まるところ、このことは、所謂「陰謀論(説)」とはどう違うのであろうか、という疑問である。
Wikiより…

陰謀論」という用語は、

歴史上の出来事は、ある個人・団体の陰謀、策謀に基づき生じたある個人・団体の活動に、目的や内容が隠蔽されている活動があるとする考え、もしくは考え方を指して用いられる。

陰謀論」に基づいて世界史を解釈することを、「陰謀史観」などと呼ぶ人もいる。

具体的にどのような考えや指摘が「陰謀論」と呼ばれているかについては、陰謀論の一覧を参照
陰謀論」とされるのは、一般に、強い権力をもつ者(一国もしくは複数の国の政府、警察、軍隊、あるいは巨大資本、マスコミ、宗教団体、民族集団など)が一定の意図を持って一般人の見えないところで事象を操作している、とする主張や説や指摘である。具体的には、
政府は国民に秘密で何事かを行っている
世界や国家は何らかの団体にコントロールされている
ある戦争や事件は通説とは別の理由で起こったものだ
などが代表的なものである。


「財務官僚の意のままに動く麻●政権が続く限り、日本経済は立ち直れない」ということが眼目なのであろう。そして、かつては、「米国の意のままに動いていた」と筆者は主張したい。
しかし、以下の三段論法はどうであろうか。
□米国の意図は年次経済要望書の中に見て取れる。
□我が国の政治経済運営は年次経済要望書のとおりになっている。
□したがって、我が国の政治経済運営は年次経済要望書に沿って進められている。


一国のリーダーのどす黒い孤独というものをどう考えるかは別にして、政治の主導者を取り巻く陰陽のパワーバランスをどのように見立てるのかという考え方には、一理あるとは思う。
しかし、その見立てにおいて、ある力を過大視してみたり、または、ないものをあるように捉えることは、やはりある種の陰謀論と違わないのではないかと考えるのである。
「国家が何か秘密を持って、別の力で動いている。」ということを本気で言いたいのであれば、上記三段オチのような類ではなく、選挙開票予想並みの理論か証拠でもって説明をすべきではないか。
但し、本気でそういった衝撃的な台詞を口にしたい人ほど、理屈や論理の積み重ねの地味な世界からどんどんと離れていって、声と表情ばかりが過剰にドラマティックになっていくので、聞く側も注意は必要である。


陰謀論には与しないが、米国の陰の力による政治経済運営という点には違和感を持たない」というスタンスに自信を持つ諸兄にあられては、是非にともこの際内側からの分析のよい機会であるので、陰謀論におけるグレイゾーンの線引きの明確化を御説明願いたいところである。



本日の音楽♪
「青春の翳り」(太田裕美