平和的解決法あれこれ

◆独警察、ケバブ屋台の小競り合いでソースの辛さ捜査
 [ベ●リン 16日 ロイター]
 独ブ●ーメンのケバブ屋台で小競り合いがあり、地元の警察当局は、凶器となったチリソースの辛さが人体にどれほどの害を及ぼすか調べている。
 事の発端は、店員が23歳の男性客に紙ナプキンを渡さなかったこと。この客が汚れた手を屋台になすり付けたため、店員がおたま一杯分のソースを客の顔にかけて反撃したという。
 この客には、目が充血する被害があったが、警察によると、どちらの当事者も罪に問われる可能性があるという。


人間は賢い生物なのだと自負してはいけない。何処の国にも、こういうしょうもない諍いはある。正直なところ、誰も真剣に円満解決を望んだりはしていないだろうが、それでも間に立って事務処理をしなければならない警察当局がご苦労様なことではある。或る意味、税金無駄遣いの典型かもしれぬ。
わたくしも日常社会の中で「瞬間湯沸かし器」のようにならないように日々気をつけているつもりではあるが、例えばときどき、レジで係から釣り銭をポイッと投げて返されたりすると、体温の急上昇を自覚したりする。最近は、結構な頻度でそういう目に遭っているので(わたくしの掌上にぽとりぽとりとお金を落としてくるパターンが多いかも)、もしかしたら、わたくしの方が常識の外に追い出されてしまったのかもしれない。


先日は、駅で始発電車を待つ列に並んでいたところ、電車がやってきて整序正しく席に向かおうとしたところ、うしろのお兄さんに押され突き飛ばされてしまった。危うく転びそうになりながらも、体勢を立て直し、空いている席に腰掛けようとしたところ、隣にいち早く座ったそのお兄さんが露骨に幅寄せをしてきて、わたくしを排除しようとする。昔のわたくしであったならば、途端に沸点に達して相手を拘束し罵っていたかもしれない。が、現在は、呆れる感情がまず先で、次に、「人間の風体を外見装っているようでも、随分反社会的な行動をするものだ。」と、その生物に対して思いを致してみたりする。結局、それでもわたくしは、狭い座席に腰を割り込ませて、ぐうぐうと寝てしまうのではあるがね。


社会規範であるとかルールであるとかそういったものに対して息の詰まる思いをする青春謳歌諸君の気持ちも分からないではないが、規範や社会性なくして、人間たり得ないこともこれまた事実ではある。刑法などの罰則はそのためにもあるが、それを適用せずとも、人非人扱いは各自の中で容易に判断可能である。
話は全く飛躍してしまうが、小島寛之の数学エッセイの中で、曾野綾子が「二点間の最短距離が直線であることなど経験則で犬猫さえ知っている」という趣旨のことをいって数学無用論を一席ぶったことを著者は暗に高度に批判していたのであるが、おそらくその、アヤ子という人は、人間的思索の根本となる規範の存在さえ忘却の彼方にあったのだと思う。或る意味、そこでわたくしはキリスト教徒が万人、博愛主義ではないことの証左を確認したのであった。


さて、冒頭の事件についてであるが、おそらく当事者達は、社会行動規範を自覚する習慣を持つ人間であるのならば、今回の騒動を反省しつつ、爾後対策というべきものを講じていくのではないかとわたくしは類推をする。以下に、わたくしの予想。

(経営者側)
  ●客の頭にかける専用の辛くないソースを用意した

  ●紙ナプキンを有料にした

  ●チリソースに「危険!凶器になる可能性有り!!客同士でかけ合わないこと」との表示をつけることとした

  ●屋台を汚れの落ちやすいテフロン加工にしつらえ直した

(客側)
  ○シャンプーハットとゴーグルとゴム長を常備して持ち歩くこととした

  ○商品注文の際に必ず「それと紙ナプキン一枚!絶対!!」と言うのを忘れないようにした

  ○店の中のオタマの柄の長さを必ず目視確認することとした

  ○ケバブ屋の隣にコインシャワーの店を開業した


本日の音楽♪
「降っても晴れても」(カーメル・ジョーンズ)