365歩のルンバ

某鉄道会社が経営に参画をする、主要駅には必ず存在するというカフェ・チェーン店のことであるが、あの店名を眺めるたびにわたくしは「大丈夫かしら」と要らぬ心配をする。
ひと昔前(今もいるけど)、超人気アイドルグループの名前が英語では「変態小僧ども」とも聞こえる命名がその筋で話題になったことがあるが、あれと同じ。
厳密には同音異義ではないと思うのだが、あのカフェ・チェーン店名は、そちら方面の人が耳にしたときに、文字通り『イラっ』としないのだろうか。例えば、日本名で「六ヶ月」という店名を付けたとして、「ムカツキ」と読んでしまうような(ん、ちょっと違うか)。毎朝毎夕、その店の前を通る度に、要らぬ心配をしてしまう余計なお世話夏のわたくしではあった。


さて、本題。
典型的vexedな文章である。
以下は、わたくしの文章ではないので、いつもの引用符で囲むが、引用先(発言者)は、どうでもいいや。正味、反則技だけれども。3年後にこの発言が忘却の彼方に逝ってしまって、わたくし自身が「はてさて、どなた様のご発言でしたかいな。」と逡巡したときに、そっくりまるごと検索をかけて確認をすればいい。「はあ、成る程ねえ。さもありなん。」となること、必定。そのプロセスの愉しみを温存しておこうという意図。

人にはいろんな苦手な部分があるので、それを自分で理解をして、ここがよくないなと思いながら継続的に改善していく。『0.2%の改善』と呼んでるんですけども、1日何かを0.2%改善するとですね、100.2%になりますね。その次の日、もう0.2%改善すると、100.4%になるじゃないですか。これを365日続けると何%になると思います? 実は約200%にもなります。つまり1日0.2%でいいんです。それを毎日毎日やる。ただ普通の人は365日続けるのをやめてしまうのです。


実体験を交えて言えば、マルチ商法で勧誘をされたときの連中の言い回しとたいして違いはないです。サラ金で苦しんでいる人に複利計算の怖さを植え付ける(溺れる人間に石を投げているようも思えるが)時にも使えそうです。
本人はポジティブ満載のつもりで言っているのであろうが、全然そうではないという俯瞰の図式が酷似していることに、本人以外気付くかどうかの差違が見極めのポイントと考えられる。


こんなリアリティのない空虚な話をいったい誰が率先して実践しているのかと考えること自体がリアリティを実感できないことではあるが、一見ポジティブに見えて実は’匍匐前進マーチ’のような単調で労苦の滲むこうした生き方は、現実性と常識的信念的な理由から、アドバイスとは言え、まったくあり得ないことと頭ごなしにスイープしてしまうべき発言かと考察する。
いずれにしても、わたくしは、幾ばくかの「改善」と幾ばくかの「改悪」を日々積み増しながらぐるぐる逡巡して生きている、普通の市井の人間で御座います。


本日の音楽♪
「どうぞこのまま」(丸山圭子