下宿考

下宿といえば、と或る夕暮れに、夕餉の食卓に添えようと魚を一匹、一人で焼いていて、突然何だか無性に悲しくなってきて、暮雨だの涙が止まらなかったあの台所の風景をまず思い出してしまう。。。


。。。とまれ、わたくしが学生の頃に初めて下宿をしたその場所は、キャンパス傍の大変閑静な環境に恵まれていた。
往来の騒音も聞こえず、木々で鳥が囀り、南東の窓からは暖かな日差しが差し込むさぞや長閑な環境下にあった。
惜しむらくは、窓の真下に広がるのが共同墓地で、霊感の強い人には胸騒ぎの程が過ぎたかもしれない(生憎というか幸いにというか、わたくしはスピリチャルとは一切無縁な人間なので、ひとだまの類も幽霊の類もとんと目撃できなかった)。


金銭的状況からそこにはあまり長居ができず、程なく次に移り住んだのは、キャンパスからは非常に遠かったが、極めて格安の物件であった。2Kの間取りで月額1万3千円。当時のCPIで割り戻して実質価格化したとしても、相当に安い家賃である。同級生の相場の凡そ半分以下であった。
なお、日額に直すと400円そこそこである。漫喫で寝泊まりするにも千円強はふんだくられるであろう(月額に直すと3万円強!何と豪勢な生活か)この御時世の折、わたくしのしみったれた算盤勘定の中には、「500円のお泊まり賃でペイ」という世間で使えぬ判断基準が根付いてしまった。


そのような物件であるからにして、安かろう悪かろうとの想像から、例えば、室内を歩くと畳が5センチメートルも沈みこむとか、隣室の住人のおならした音が聞こえてしまうとか、真夜中に布団の上に誰か乗っかってくるのでとても重たくてたまらないといった致命傷らしき致命傷も見当たらず、しかも、窓からは墓場も火葬場も見えなかった。
ただ、立て付けに少々難があったのか、窓際に布団を敷いて、朝方に枕元に雪が積もっていたりということはあったが。


現在住む町の行き帰りの坂道の途中にある例のヤモリ廃屋アパート。ここも、以前は大学の下宿生で賑わっていたのだろうと思われる。
廃屋を見上げながら、相場は幾らくらいかしらと思いながら、自分自身の記録はそうは破られることはないだろうなあと少なからず自負をする。


こういった家賃の決め方というのは本格的に考えれば路線価とか総設備投資額とかそういった指標を基に算盤を弾くのでしょうけれども、言っては悪いがわたくしの住んでいたようなところは丼勘定で決めていたのでは、とも考えてしまう。このヤモリアパートも似たり寄ったりだったのではないのかねえ、とか。


「市場(マーケット)」なんて聞こえの言い言葉で説明をしていらっしゃったりするが、実は一物に二価も三価も十価もある世界というのは、このようにしてあるのだということを改めて考えてみた。
途端に、「民間で出来ることは民間で」というスローガンが脳裏に甦ってきて、「民間は出来るかどうかではなくて、やりたいかどうかだけで動いているのだ」、綺麗事で済ませるんじゃないと無性に腹立たしくなってくるのであった。
いつもの八つ当たりではある。


本日の音楽♪
愛のしるし」(PUFFY