Optimismとはどう違うのかについて考えている

オバマ大統領の演説に関するgooニュースを読んでいて、彼の主張する政策的な裏付けが大層新しく画期的なわけでもないのに、人々が彼の演説を概ね好意的に受け取るのはいったいどうしてなのだろうかということについて論じていた。興味深い視点である。
http://news.goo.ne.jp/article/newsengm/world/newsengm-20090608-01.html


記事にもある中東歴訪の際の反応の一つとして、周辺国記者を招いての共同記者会見の場でも、そのような雰囲気が滲み出ており、記事の内容を裏付ける。
相変わらず、少々長いが、そのやり取りの一部を眺めてみよう。

2009年6月4日エジプト、カイロ、カイロ大学にて

大統領:それでは、用意された時間は30分しかありませんが、どなたからでも御質問をお受けしたいと思います。先の演説の内容を繰り返すつもりはありませんので、オープンに参りましょう。よろしいでしょうか。では、まず始めに、Wafa。

Q:大統領の演説に謝意を示したいと思います。パレスチナ問題、特に入植政策に関しては、パレスチナ人が大統領の発言に対して多分に敬服したのではないかと私は確信するものです。これまでこういった発言は、米国の大統領や政府当局者の誰からも聞けなかったものでした。アメリカ合衆国は、入植政策を合法なものだとは認めないと言ってきました。
大統領がこれまでの他の大統領とどれ程違っているか、パレスチナ人に教えて頂きたいのです。アメリカ合衆国が入植政策の拡大を確保するために−

大統領:演説の記録の「再生」ボタンを押して、インタビューをするのでしょうか。

Q:大変失礼を致しました。

大統領:いえいえ。その先をどうぞ。

Q:いずれにしても、ロードマップのフェーズを特定していかなければなりませんが、イスラエル側が入植政策を止めないようにするための具体的政策が何かありますでしょうか。

大統領:私のスピーチにおいて示した原則を越えるには、未だ早計に過ぎると思います。その理由ですが、ネタニヤフ首相は、未だ在職1ヵ月か半月ほどです。アッバス大統領にはちょうど2週前にお会いしたばかりです。私は、まだアラブの関係者の皆さんと相談を始めたばかりのところなのです。
そして、私は交渉方針の決定の前段階としてどのような対応策を考えるべきかということのまず前に、すべての関係者からの話を聞くことが非常に重要であると考えています。
私が知っていることはたった1つのことだけです。それは、この問題が非常に難しいということ。私は、この困難な問題を過小評価したくありません。情熱は非常に重要なことではありますが、選挙期間中に示した政策構想の中でも私はこの件に関しては6,7,8年を費やさなくてはならないだろうと、あるいは、それほど深くかつ長期の米国の関与が必要になってくるだろうと考えていました。
私はジョージ・ミッチェル特使を任命して、彼は今すべての様々な利害関係者の間を訪ね廻っています。我々がこの問題に取り組むつもりであることについて、若干の明確な根拠を述べました。そして、私の希望と予測によれば、そのためには相応の困難を伴うだろうけれども、最後にはイスラエルパレスチナが互いを認めあえるだろうということです。
そのことが私のスピーチの中で最も強調したかった肝要な部分です。アメリカ合衆国は、その解決を課すことはできませんが、おそらく我々が関係する渦中の中心にはいないこと、そしておそらく我々がこれを解決あるいは速やかに解決するためにイスラエルパレスチナにとって極めて重要な理由を見出すことができるであろうことから、永遠に悩まさせる続けるということはないと考えます。それが我々の関与です。

Q:アメリカの考えるタイムスケジュールはあるのでしょうか。

大統領:私は、人為的なタイムスケジュールを強要したくありませんが、「物事は前進しているか?」あるいは「立ち往生していないか?」といった感覚は持っておくべきでしょう。歴史的にもこの地域での交渉のためのリズムというものがありましょうし。立ち往生していることは、誰でも知ることができます。人々は多くのことを言うかもしれませんが、何も起こっていないということも又知っています。そのためにまた相当な時間がかかって、物事は遅れます。物事が動けば、それもまた人々は知ることとなります。
そして、私が欲することは、動くことそして前進することの実感です。それが達成できると私は思います。

冒頭コラム記事でも解説のあるとおり大統領の人種的背景が中東での理解増進にこの上ない効果を齎しているという指摘も分かる。
しかしながら、一方で、同様に指摘があるとおり、言動ではなく演説だけで信を得る(演説の巧さ以上の)観衆側の(本当は大統領自身の生来のキャラクターとして受け取られている)宗教的な、あるいは、optimismとも言うべきような思考過程について、わたくしとしては、もう少しばかり、引き続いて、拘ることとして行きたいところでもある。


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「シャングリラ」(電気グルーブ