ベルカ、吠えないのか?

この記事を見て、思わず「ベルカ〜」のクライマックス場面を想像してしまった。記事に出てくる場所名からして何やら非情な雰囲気が漂うではないか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090525-00000018-scn-cn

黒竜●省黒河市で5月20日に発表された「殺犬令」がネット上で注目を集めている。賛否両論あるなかで、施行の理由に関する噂も流れているという。
「殺犬令」は黒河市が5月20日に発表したもので、「指定区域(市街区域)ではいかなる人間も犬を飼育してはならず、違反した場合は200元以下の罰金を科すとともに、その犬を処分する」という内容である。野良犬だけではなく、飼い犬にも適用されるという。

人々の関心は、何故にこのような世間的に見ても或る意味非常識な「殺犬令」を当局が発布したかというその理由に集まっている。
例えば、その御近所にある主体的な思想と行動を標榜する毛色の変わった国が、地下核実験やらミサイルやらを飛ばして、大変な顰蹙を国際的に買い集めている。他国からの怨嗟を受けてまで、何故そういった「友人として絶対に認めてもらえないような振る舞い」をするのかと言えば、それは国際的な関心を兎にも角にも集めて、自らの体制を守ることの主導権を握りたいからに他ならない。そういう意味では、瀬戸際と呼ばれるその交渉術に対して「その選択肢は得策なのか」とは思っても、「選択の理由が理解できない」ということではない。別の見立てをすれば、境界性障害の傾向自体は把握可能である。
それに対して、この非情のライセンス風の町でやろうとしたことには、そもそもの動機からして謎に包まれている。嫌がらせとか、悪意とか、潔癖衛生都市宣言とか、そういった隠れた意図がよく見えない。であるから、様々な憶測が飛ぶのであろうが、わたくしもその理由を勝手読みしてみた。


わたくしは、この当局が単に犬を全て始末したかったというだけのことでなかったのかと憶測をする。そこには、個人的恨みや複雑な背景事情に基づく深謀遠慮は何もない。町から犬が居なくなっても害はほとんどなく、却って雑事が減って宜しいだろうと、だからこの際、全頭処分してしまっても構わないだろうと考えた、極単純な発想ではなかったのか。要すれば、刀を犬に代えた、刀狩り気分の発想である。
勿論、犬に対する思いであるとか、命の尊さであるとか、愛護団体が言うような何とかの権利だとかといったことは、微塵にも頭に浮かんでこなかったのだろう。そのことをして、「遅れている」とか「問題」だとは此処では言わないが、4千年の教訓を置き去りにしたまま、世間の受け止め方を読み間違えてしまったということだ。
実際には、そんなに単純に物事が進むわけではなく、発案当局の意図とは別に話が段々と広がって、予期せぬ複雑な方向へと事態は流れていく。そうなると当該当局には制御できない。準備なく突如スポットライトを浴びせられ、「こんはずでは」と臍を噛んでいるのが、今の状況ではないかと類推をする。
浅瀬に徒波のたとえあり、である。


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