至言名言裸足言

至言名言裸足言
十有余年の永きに亘る学舎生活にほぼ何の未練もなく別れを告げ、「社会人」と呼ばれる世界の御仲間に入り立ての頃というものは、周回遅れでやってきた反抗期のような状態で、その社会との調和がそれはそれは巧くとれないでいた。恰もそれは棘々しさという形できっぱりとわたくしの言動にも態度にも現出をしていたように思われる。端から見れば、オーラさえ滲み出ていたかもしれない。


例えば、新参者時代のと或る時期、職場から塒へと帰る途次(:みちすがら)、週に何度もその方面の方々からの職質に遭遇をしていた。思想的活動前歴は一切なかったので、マークをされていたわけではない。その方面の方の常駐場所があり、その前を通り過ぎる際に、相当の確度で「ちょっと…」と呼び止められ、素性を聴取されるのである。
また、ある時は、道端の占い師に突然「そこのあなた、待ちなさい。」と強引に声を掛けられる。


一体どうしてなのかと自らを振り返りつつ、或る意味納得をする反面、その画一的な受け止め方に絶望感のような諦念感を持った。
わたくしが今風でいうところのDQNな風体であったり、衆目集めるアイドルよろしく輪を掛けた美貌を備えていたり、或いは犯罪者の如く如何にも挙動不審な歩き方をしていたわけではない。


※ここで、話はまったく逸れるのであるが、「挙動不審」について、一つ覚書をしたためておく。痴漢の冤罪や交通事故被害等の犯罪被害から我が身を護るための貴重な助言を行う《安全生活アドバイザー》という職業があるようである。
このアドバイザー女史の灼かなアドバイスを読み、それを忠実に再現したとした場合、その我が身を護る行動の一挙手一頭足こそが挙動不審のステレオタイプそのものであることをわたくしは発見した。挙動不審とは何かと定義する際に、非常に参考になる。いつかこの女史の原理主義的主張について改めて取り上げてみようとは思う(※欄外にその芳しい至言の一例をアーカイブしておこう)。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/e/


人生の、そして職場の上司は、そういったわたくしの調和のない美しくない姿を見るに見かねて、「これでも読みなさい」と社会の荒波に対処するための処世訓のたっぷり詰まったビジネス書を手渡してくれた。著者名は失念した。大きな書店に行くと、入り口の所にこれ見よがしとずらり並べて積んであるあのビジネス書の類である。いかに活字好きの私と雖も素直に手にとって読む手合いではない。そもそもこのような押売り書を素直に読むような人間であったならば、今さら処世訓など必要ない。

−『人生において失敗した人の多くは、自分がいかに成功に近づいていたのか、そしてそれにも関わらずあきらめてしまったのかを知らなかった人だ』(Thomas Edison)−

学舎の図書館のヒーローであるところのエジソン先生がいくらもっともらしいことを宣っても、「失敗のより直接的な原因を追求しないことのほうが欺瞞的人生なのではないか」と草葉の陰の先生に思い切り噛み付いて、先生をあの世に追い払っていた。その挙げ句、「もっと役に立つ人に読まれておいでよ」と、その本は即座に古本屋に回された。嫌な若者である。


《名言至言が人生を支える》人生にそんな余裕があるのであれば、そもそもその人生には何の苦労も要しない。所詮後付的に座右の銘を探し出しては、自らの生き方の成功の証左にしているのだろうと皮肉っていた。そういう思いは、どうやら今も変わらない。したがって、いまだに人生訓も座右の銘も何も持っていない。嫌な大人である。


青少年諸君に対しては、試験に出る英単語や公式の類の助言は出来たとしても、生きるという意味でのコツのようなものは何も教えて遣れない。
せめて自らきちんと実践、率先をしていて、これは生きていく上で為になるということがあるとすれば、食べ物を下に落としても3秒以内に拾い上げればセーフ!という「3秒ルールを活かせ」というアドバイスくらいのものである。(但し、落とした場所によっては、0.000…1秒ルールでも即アウトになる場合があるので、TPOはよく弁えた方がよいとも思うが。)


そんなわたくしではあったが、しかし、その当時に心の底から震える感動を戴いた言葉というものがあった。
それは、当時のこいびとから教えていただいたもので、「ズボンの屁、右と左に泣き別れ」という川柳であった。何て素晴らしいセンスなのだろう。哀愁そしておかしみ。その親近感。処世訓よりも余程生きていく上で為になる。
手帖に「ずぼんのへ」と書いては、こっそり見入って、淫靡に北叟笑むのであった。


昔話の余韻ではある。


※くだんの安全生活アドバイザーの至言(交通事故から身を守るために)

“生命体”としての危機感がどれだけあるか。さらに人間の理性・知性により状況判断をして身を守ることが、「交通地獄」と呼べる今の時代を生き抜くために求められるものだろう。歩行者だけでなく、車を運転する人もまた、飲酒運転の事故に巻き込まれないようにこれまで以上に「見る、状況を判断する、予測する、動く」ことを心がけられたい。


本日の音楽♪
「いいことばかりはありゃしない」(RCサクセション)