ウェブの「どうぶつ適職診断」を試してみたところ、《河原の土手道の真ん中でじっとしている斑猫》という結果が出たが、その場合でも心配には及ばないのだ(三行文)

面接の極意なるハウツー本をぱらぱらぱらと捲ってみる。
至極尤もな内容が書かれている。
成る程成る程とわたくしは頷く。

◆面接の極意

ベテラン面接官は目元と口元を見ている。
面接では応募者の目と口を見れば、その人が良いか悪いか分かる。
面接官の質問にどう答えたか、応募者が志望動機をどのように語ったか、という話の内容は面接が終われば忘れ去られてしまう。


話の内容よりも応募者が面接官に訴える力が発揮されるのは「目元」と「口元」だ。
面接官は目元と口元さえ見ていれば、その人が優秀であるか否が分かる。
面接で応募者を見極めるポイントは目と口だ。


かつて面接を経験する機会があり、それは面接を行う側での役回りであった。
される側ではないとはいえ不慣れなわたくしは、必要に迫られ、仕方なくそうしたハウツー本を覗いてみたわけである。
読後に得た感想は、「面接用のスキルというものが確かにあるではないか。」ということであった。



その後、実際に面接を経験して(当時、面接をされた側の方々にあってはお気の毒様としか言いようがないが)、それが確信となった。
選ぶ側も選ばれる側も、ある種の能力やスキルのある人を選択するという約束で面接は成り立っている。
そういう約束事の意義や枠組みはわたくしも否定しない。



しかし、選んだ後のことは何も保証していないことも事実である。
本舞台でそうしたスキルや能力が発揮される保証はどこにもない。
いくら面接の場で、磨いたスキルでもって、明るくはきはきと答えようが、その後の本舞台でそのポジティブさが実践される保証はどこにもないのである。



当たり前といえば当たり前のことではある。
スキルに長ければ上手に地を隠すことも可能である。
能力発揮のためのインセンティブは、他律要因(つまり本人のやる気)以外には、本舞台の環境と条件付け以外にない。



では、選ぶ側における選択眼の才能といったものが必要なのか。
さりげない会話の中からその人の性格を探り当てるだとか、その人の持っているオーラを感覚的に掴まえるだとかといった特殊能力など少なくともわたくしにはあるはずがない。
精々感覚的なところでは、初対面の率直な印象というものにしか頼るものがない。



貴重な経験から実感をしたのは、わたくしの人間を見る選択眼というものがつくづく当てにならないということであった。
幾ばくかの受け答えを踏まえ、「あの人は誠実そうです」などとわたくしの思いを発言する。
他の審査官の方々は、「どうでしょうかねえ」と首を捻る。



まこと、人間は一様でないし、乱暴に○×をつけて人物評価をするものではないことには注意を払って、判断を心掛けてきた。
しかし、マニュアル通り、相手の目元や口元をじっと見ても、何も分からないものは分からない。
目利きの才能のなさに我が身をたいへん悲しく思うのである。



わたくしは、或る意味、自己と他己というものをよく吟味できていないのかもしれない。
しかし、詐欺に遭いやすいタイプであったり、よくない友人と付き合ってしまったりといった人生の障害は幸いにしてないことを自覚すると、本当に人を見る目を持たないということでもないのではないかとも思う。
端的に直感力に優れていないということなのかもしれない。



したがって、教師のような「師」のつく職業は、わたくしにとっての天職の正反対に位置付けられる。
対面で冷静に分析をする精神科医のような職業も到底出来ないであろう。
占い師や予言師の類も全く向いていないと改めて思った。



◆斑猫:ハンミョウ
コウチュウ目(鞘翅目)・ハンミョウ科(Cicincelidae)に属する昆虫の総称。あるいはその中の1種 Cicindela japonica Thunberg の和名。幼虫・成虫とも肉食性の甲虫である。なお、漢方の生薬にある「斑猫」は、名前は同じでもかなり縁遠いツチハンミョウ科の昆虫を指している。



本日の音楽♪
「決意の朝に」(Aqua Timez