わた・スキ(→省略厳禁)

EP/LPレコードがいつの間にかCDにとって替わり、この先はUSBまで行こうかという時代、CDショップをレコード屋さんと呼ぶことはなくなった。
それと同じように、スキー場もあっという間にスノーボーダー連に席巻されてしまい、いつの日かその名の通り呼ばれなくなる日が来るのだろうか。


わたくしにとってのスキー映画の代表作と言えば、知世さん主演のあれなわけであるが、今を生きる世代の人々にとっては、あの映画はまるで若大将シリーズを観ているような「昔」を観察している心境になるのだろうか。


当時、万座山の頂に立ち、ここがあの映画の舞台であったのだよなという感慨を胸にしつつも、映画の筋書きにあった志賀高原の焼額から万座への山越えの敢行は、それでなくともノービスの知世さんが夜間にそんなことをするなんて、まるで平泳ぎだけそこそこ人並みに泳げるスイマーが鮫警報の中で座間味島から飛び込んで阿嘉島を目指すようなマリリン以上の蛮行であることだ、兎にも角にも無茶苦茶で御座るよなあ、と感慨に耽ったことが懐かしい。


そう言えば、八方尾根に泊まり掛けでスキーに出掛けた時に、麓のと或る居酒屋で大いに飲んで、呂律が回らなくなったかどうかは覚えていないが、気持ちよく酔っ払って、居酒屋のバイトのお姉さんににこやかに見送られながら、さあ、次の店に行こうと麓の町をうろうろ歩いていると、向こうの方で提灯の下でにこやかに手招きをしている女性の姿が見えて、よし、あそこにしようと行ってみると、それがさっきと同じ店であったということがあった。
あれはホワイトアウトみたいなものだったのかと考えてもみたが、単なる迷子の酔っ払いだったということだろう。


安比高原で体力の限界に挑戦とか鼻息荒く宣言しながら、頂上から麓までたった1回フル・ダウンヒルで降りただけで、膝がわははもう駄目と笑い出した。


わたくしの好きなスキー場の想い出である。
このほかにも個性的なスキー場は数多くあった。
若くて体力と気力があったからこそ、夢中になって全国何十ものゲレンデを駈け巡ることが出来たんだと実感をする。
様々な人達と知り合った。
彼らは今どこで何をしているのか。


本日の音楽♪
「Young oh! oh!」(岡村靖幸