竹藪に矢を射る

2000年代前半の我が国構造改革の理論的主導者でもあった竹●元大臣の最近の主張を目にする。
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/jcer04.cfm

この御時世の折、さぞや肩身の狭い思いをされているのではないかと推し測ってみるに、それは下衆の勘繰りというものであって、十分に意気軒昂の御様子である。
経済の素人は、今日もいろはの学習をする。

テーマは、昨今囂(:かまびす)しい雇用不安問題についてである。
元大臣の主張の一つに、『規制緩和などによる競争の激化で派遣社員が急増した。その派遣社員が、昨今の景気悪化で解雇され路頭に迷っている。…こうした風説は、マスコミが単純化をした誤ったストーリーである。』といった主旨の発言があった。
正面からの衝突を厭わないような勢いのある主張ではある。

その中で、『一般に派遣問題というが、雇用されている労働者のなかで派遣社員はいまだに2.6%を占めるに過ぎない。非正規の中で派遣が占める割合は、非常に低いのである。』との説明をしている。
わたくしは、そこでハタと立ち止まり、考え込んだ。

派遣社員数はそれほどに少なかったのであるのか。」
そこまではいい。
「ところで、派遣と非正規との違いは何であったろうか。」
「そもそも、現在、世間で騒がれている雇用不安の問題は、派遣社員だけの話であったか、非正規の話であったか。」
そのような初歩的な疑問が源流をどんどん遡っていく。
そこで、事実関係からまずお浚いをしてみた。


*ポイント①
非正規労働者とは、パート、アルバイト、派遣社員契約社員など、正社員でない雇用者の総称を言う。

*ポイント②
総務省労働力調査(詳細集計、2007年平均)によると、雇用者(役員、農林業を除く)5174万人中、33・5%の1732万人が非正規労働者に該当する。

*ポイント③
2007年度における国内の派遣労働者(過去1年間に雇用のあった派遣登録者)は約381万人(対前年比約19%増)。5年前と比べて約1.8倍、1998年度との比較では4倍を超える大幅増となっている(厚生労働省調べ)。

事実関係は以上の3点である。
元大臣の『派遣社員の割合2.6%』発言は、ポイント②と③から、381万人/5174万人の割合を差しているものなのかと計算をしてみるに、これが7.4%。
3倍もの開きがある。
元大臣の方のデータソースが不明であるが、③とは別に、総務省の調査によれば、派遣労働者数は131万人という数値もある。

派遣労働者数の絶対値として381万人が正しいのか、131万人が正しいのか。
前者は実数というわけでもなさそうだが、マスコミは前者の数値を専ら使用している(これら数値で示された者が即失業に繋がるというわけでは当然なく、政府の公式見解では、本年3月までに約8.5万人の非正規労働者(うち、製造業からの派遣労働者5.1万人)が解雇されると推計されている)。

いずれにせよ、この百万人オーダー台の派遣業者の数値を大とみるか小とみるかについては、大いなる見解の相違と捉えることが出来よう。
尤も、③の後段から、近年の派遣社員の急増は、紛れもない事実のようにも思える。

以上のことから、③について複数のデータソースの存在が新たに判明したものの、前述のわたくしの素朴な疑問の前2つについては、おおよそ解決した。
即ち、「大した数値ではない」と堂々言える神経は、流石に持ち合わせられないだろうという結論である。


派遣社員問題だけが取り沙汰されているのかどうか、という残る疑問については、<2009年問題>が象徴的に取り扱われているとの事実を確認する。
<2009年問題>とは、労働者派遣法における製造業への派遣が2004年の改正で解禁され、当初は1年間という制限が、2007年の同法改正により3年間へ延長され、多くのケースで、派遣労働者の3年間の契約期間が2009年に一斉に切れることを指している。

一方で、この雇用問題は、象徴的に取り上げられる派遣業のみならず、非正規労働者の雇用不安問題全体を指しているということも改めて各紙をお浚いして自己確認をした(当然、非正規から正規への波及を懸念する声が大勢である)。


こうした初歩的基礎知識を踏まえて、もう一度、元大臣の主張を読もう。
『製造業への派遣を再び禁止してみたところで、派遣がより条件の悪い請負に戻るだけで、派遣の改善には繋がらない。』との主旨の主張がある。

製造業への派遣禁止によって、正規雇用への逆シフトが起きるかどうかは確かによく分からないが、しかし、非正規雇用の絶対数やシェアが明らかに上昇している現状(下図ULR参照)をみれば、正規から非正規への順シフトに対しては歯止めがかけられるように思う。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3240.html

また、元大臣の主張には、『派遣の雇用確保よりも、正規と非正規を含めた全体の雇用を確保することがより肝要』という主張がある。
つまり丼を大きくすれば全てが解決するではないかという、いたってシンプルな主張ではある。

但し、こうした甘言に対しても、わたくしたちは、そんな都合の良い話が道の至る所に転がっては居ないことをこれまでの経験で多く確認をし、学習もしてきた。
マクロな物の見方をする人がミクロな事象を題材に批判をされて、そうした次元の視点は持ち合わせていないといったことは鞅々にしてあり、それが宿命とは言え、マクロな物の見方をする人の根本的欠点だとは思わないが、一方で、マクロな世の中というものは、ことほど左様に単純なものではない(例えば、評論家の解題する社会政治経済の話は単純化されていてよく分かりやすいが、そういう認識に立ってそのまま現実行動をすれば、忽ち火傷をすることも必定である)。

寧ろ現在は、一定のパイ(丼)の中でのシェアリング(分配と共存)をどのようにして摩擦少なく行うのかということに公的な力というものを期待している社会があるように思う。
このことを、社会主義への揺り戻しと言う人もいるが、国家の関与という側面だけ捉えれば、或る意味そういうものなのかもしれない(わたくしは、富の分配機能は国家の宿命だと考えている)。

前述の正規雇用と非正規雇用の割合の推移グラフは、如何にも示唆に富んでいる。
つまり、政府が極力制限を付けない条件の下では、正規(高い所)から非正規(低い所)への順シフトが必然的に起きてきた。
この順シフトを出来るだけ摩擦の少ない形で制御するためには、一定の制限(別の言葉で置き換えれば「規制」)が必要であるとの考え方に繋がる。

元大臣もそういう思考回路が全くないわけではないが、批判の対象は、より過剰な制限の方に関心が向き易く、『東京高裁の判例(1979年)によって、企業の解雇権は著しく制約され、業績が悪化しても従業員を実態的に抱え続けねばならないような正規雇用の社会制度』こそが問題であると糾弾する。
正規の側の制限を緩めて(高い所にあるものを低くして)、非正規との格差を解消すれば、順シフトのスピードが緩くなると言う主張である。

おそらくこうした主張者の脳裏には、制限というものが七面倒くさくて適わない(有り体に言えば、規制は大嫌い)という思いがあるのだろう。
それはそれで、正に首尾一貫したスタンスといえよう。

それでも制限をゼロにすべきとの極論までは彼らも言ってはいないが、では、どの程度の制限とすべきか。その判断基準は何か。
しかし、彼らの相対的な物の見方だけで、より適正な制御というものを近似的に行い得ないというジレンマに、彼らは永遠に気が付かないというのも、是又事実である。


さて、以上我が国をかつて主導した大家に一介の素人が批判的な、正に天唾的な発言をしてきたわけであるが、この思考プロセスの中で、別な問題の所在ということも明らかになった。
派遣問題が、正規雇用と非正規雇用との関係で捉えるべきものであることは、報道の捉え方は別にして、識者の間にはほぼ共通的な認識があるようである。

しかしながら、その次の段階として、では、派遣は好ましくないから正規雇用に近づけるべきであるという発想と、派遣は必要であるから正規雇用と適切に区別して取り扱うべきであるという発想とに、大きく分かれているようなのである。
どちらが正しいのかは現在のわたくしには判断できない。
少なくとも現行法令は、こうしたあるべき論の理想解を持っているとは思い難く、社会の議論もそこまで熟しているのであれば、それぞれの具体的かつ実質的な回答というものが用意されて然るべきであろうが、どうやらそれもそこまでには至っていない模様である。
敢えて前向きに申せば、前線の一端には触れたような気がする。


本日の音楽♪
「ハローグッバイ」(YUKI)