わたくしが持っている賞状の数

巷間、実に様々な賞が溢れている。文学賞は本屋さんや特定の書店員が選ぶ賞まで出てきたし、M1からはR1が派生し、今後はさらにT1(トリオ部門)やQ1(4人以上;超新塾玉川カルテットなどがこれに該当する)といったコンテストも生まれるかもしれない。こうなると、まるで柔道か何かの体重(人数)別選手権だ。

賞は多くて困るということはない。お金と一緒。
どんどん、ひたすら増えていって欲しい。人口掛ける10倍くらい、あってもよい。
「本来の賞の意義が薄まってしまう」と大真面目に反論を唱える人には、「木を見て、森を見よ」と堂々答えれば宜し。インフレーションの心配には及ばず。
有り難迷惑なら、受け取らなければいいだけのこと。

いま、勝手に考えた賞。【日本湖畔正統派SF大賞】

ミステリにも本格派部門だとかバカミス部門だとかが出来るくらいだから、SFに正統派部門があってもよいだろう。「正統派SF」で検索したら、用語の使い方としては概ね間違っていないようであるし。
そして、正統派というくらいだから、数々のSF作品に耽溺し、斯界の全体の様相を俯瞰し十二分に把握した上で、王道に位置付けられる作品をピンポイントで示さなければならない。

自慢ではないが、わたくしは、SF小説には相当疎い。毛が三本の素人といってもよい。
そんな人間が正統派大賞を選出できるのかという自問他問に対して、「日本正統派SF大賞」の間に「湖畔」のTRMを言い訳がましく挿入しました。

それでは、発表しましょう。
「旅のラゴス」(筒井康隆

これはSFの中でも正統派でしょう。うん、うん。
この作品の何がSFとしての正統派なのかという点は、実は、やはり、よく分かっていない。
読み継がれるべきSF小説であるということだけは、素人ながら確信できる。
因みに、わたくしがかつて読んだのは、新潮文庫ではなく、徳間版だったような気がする。

ところで、表題の回答は、ここには記さない。おそらくわたくしが他界して後、仏壇の間(:ま)の冴えないわたくしの顔写真(業者修正の跡アリ)の横に、額が生きてきた航跡(功績)を申し訳るようにひっそりと並べて飾られているのだろう。

本日の音楽♪
「春風(alternative)」(くるり