かもめはかもめ、親爺は親爺

久しぶりに三面記事からの拾い上げ。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091218-OYT1T00410.htm

◆「クモの巣、掃除しろ」駅員に暴行、65歳逮捕
 ●玉県警●巣署は18日、同県●巣市●見台、会社員小●●容疑者(65)を暴行容疑で現行犯逮捕した。
 発表によると、小●容疑者は同日午前0時50分頃、同市●見台のJR高●線北●巣駅で、改札の男性駅員(48)に「クモの巣がある。しっかり掃除しろ」とどなり、顔をたたいた疑い。
 ホームから改札に向かう途中の蛍光灯付近に巣が張っていた。小●容疑者は「みんなで利用するところなので掃除しろと言った。触っただけで、たたいてはいない」と供述しているという。さい●ま市内の居酒屋で酒を飲んで帰る途中だった。


みんなで利用する場所を大切にしましょうとの公共心がその発端とすれば、そういう心根自体は否定しない。
ただし、駅は公共の場であって、公共物そのものではない。そこに務める駅員は、公僕でも、ましてやおじさんの下僕でもない。
上から目線での支配的言動は、大いなる勘違い。公の心根を持ちたいのであれば、利用する側される側とか、利用人使用人といった上下感覚は棄てるべきなのであろう。
その上で、自発心が肝要なのであって、自発の強制は当然自発ではない。
全体主義を一方的に強要したり、公を建前にして私利私欲を追求する勘違い「市民」がけっこう跡を絶たないのは、そもそもの社会道徳規範の薄れなのだろうか、どうかしら。

さて。
そういった真正面からの論評はさておき、例の如くいつもの如く、斜め目線でこの記事自体を眺めてみると、見えてくるものがある。
そう。今回の記事中の注目すべき一文は、これである。

ホームから改札に向かう途中の蛍光灯付近に巣が張っていた。

何気ない一文ではある。
「張っていた」と断定しているくらいだから、記者はどうやら現場に出向き、わざわざその事実を確認してきたらしい。
確かに蛍光灯付近には蜘蛛の巣が張っていたぞという事実。記者は足で稼いだことが伺える。
そうした事実を提示し、さりげなく、加害者おじさんの主張の正当性の裏打ちをした風を見せながら、ぼんやりしていたら、もしかしてこのおじさんは正論を主張しているのではないのかとそれこそ勘違いして聞いてしまう人もいるかもしれませんぞ、と煙幕を張る。
しかし、ちょっと考えてみればそれは正論でも何でもない、蜘蛛の巣の有る無しなんてお前が手を下すことの理由にさえならないじゃないか、この加害者は単なる屁理屈親爺ではないか、ということが分かってくる。
なかなかに技能を凝らした記事とみた次第である。
そして、最後の一文でそのとどめを刺す。「酒を飲んで帰る途中」。
何だよ、単なる酔っぱらい親爺の戯言だったのか、そんな戯言に心動かされた自分が何だか口惜しいわ、腹立たしいわ、いったいどうしてくれようといった二転三転気分を味わうことが出来る。
いずれにせよ、である。
本日の結論。
65歳。底浅すぎ。


本日の音楽♪
「フールズ」(ダイアン・ローチ)